宝船・公演の軌跡 001「嗚呼、お前もか…」


第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章 第八章 最終章

第一章 出会い
 新井さんとは、今を遡ること15年前、女性メンバーだけで構成された某劇団で出会った。
 女性だけの劇団、しかも、プロダクション系ということもあって、「アタシ売れてえ!」的な野心が渦巻き、嫉妬、見栄、競争、男の取り合い、上っ面だけの友情などが日夜繰り広げられ、その劇団で上演する芝居より断然そっちの方が面白い程であった。
 劇団内において、勝ち組、負け組と次第に分けられて行く中で、親は医者、有名私大生かつスキー部所属、という毛並みの良い出目らしく、やや下ぶくれのお嬢様フェイスの新井さんは、私から見ても明らかにギラギラ感が欠けていた。
 この劇団では「この役欲しい人〜!」などと言われた時は、いかに自分がこの役に向いているかを声を枯らして訴え、涙を流し、時にはトイレに籠城し、その役を掴むまで出てこない程度の自己アピールが必要だったのである。
 しかも新井さんは要領も悪かった。
 小さい頃から苦労をし「処女とは話が合わない」などとのたまう『ザ・女の人生ドラマ』みたいな女を怒らせ、真夜中にそいつの家から下着姿のままで外に蹴り出される、などという、不幸にも遭遇していた。
 最初は「一緒に頑張ろうね!」などと言っていた同期生に「アンタの小道具の置き方が悪いわよ!」と言われるようになった頃、気が付けば、同じく負けチームっぽい雰囲気の新井さんが側にいた。
 新井さんはもらった役を2度も降板されているにも関わらず、降板させられて号泣している女を慰め、逆に怒鳴られたりしていた。あまり年の変わらぬ生意気な女優気取りどもに、芝居の注意のみならず、人生のダメ出しまでされていた。
 劇団内の半数は喫煙者だったのに、新井さんだけは試しに吸うだけで怒られていた。

 あまり良く知らなかったけど、仲良くなりたいと思った。

第二章 別離
 15年前、我々が所属していた某劇団で大きな公演を打つことになった。
 高名な脚本家による書き下ろしの台本であったにも関わらず、私には全く面白いとは思えぬ内容であった。しかし、劇団員にはとても好評で、とても文句など言える状態ではなかった。ただ一人を除いては。
 そう、その人が新井さんであった。
 新井さんと私はそれぞれ、メインキャストの元クラスメイトAとB、メインキャストの現・仕事仲間のAとB、小道具係をメインで任されていた。
 稽古から帰る道すがら、私と新井さんは小道具の話し合いを兼ねて中華料理店に行った。ビールを何口か飲んだ新井さんは、他の劇団員たちに説教されている彼女とは何か違っていた。新井さんは、目の回りをヌラヌラと赤く染めながら、「この台本はクソだ」的なことを言った。
 全く同感だった。
 小動物のようなルックスの新井さんが、研ぎ澄まされた牙と毒を秘かに持っていることを知ったのだった。
 この日から、私は新井さんのことを「友香ちゃん」と呼ぶようになった。
 しばらくして、私は『ザ・女の人生ドラマ』の自宅へ呼び出しを受けた。酒が入っていた彼女は、私に「これ今度やりたいんだよ」と自作の脚本を読ませてくれた。
 正直、あまり好きな作風ではなかった。しかし彼女は、度重なる修羅場で作ってきたという傷と、浪速のボクシングジムで鍛えたフットワークを披露しつつ、「このホンを読んで泣いてくれたら、仲間だって思えるんだよ」とつぶやいた。
 彼女は用意していたラジカセで浜田省吾、通称ハマショーの曲をかけ、「ラストシーンにはこれがかかるんだ」と演出プランまで教えてくれた。周りを見てみると、そこにいた劇団員全員が涙を流しながら私を見ていた。
 魔女狩りだ!
 そう気が付いた時には遅かった。私は新井さんのような勇者ではなかった。泣いた。もう限界だと思った。
 私はその劇団を誰にも相談せずに抜けた。偶然にも新井さんが同じ時期に辞めた、と風の噂で聞いた。
 ふたたび新井さんと再会するのは、それから1年程経った後であった。

第三章 再会
 劇団を辞めてから、私は騒動舎というインカレサークルの1部員として、合宿に行ったり失恋したり、たまに公演に出たりしていた。 同級生だった河原氏と時折飲むようになったのもこの頃だ。河原氏は話術巧みで、ちょっとした話でも尾ヒレをつけたり、倒置法を用いるなどして、100倍面白く話すことができる男だった。クラスメイトが就職活動を始めた頃、もちろんそのようなことは気にも止めない彼は、明大校舎を舞台にした大がかりな芝居を手掛けており、飲み友達だった私も参加することになった。蛇足だがその現場において、絶対あり得ないタイミングで、そんな必要もない大ケガをし、病院に運ばれたのが、山田イクマだった。
 この頃は新井さんとほとんど連絡を取っておらず、振り返って考えてみると、就活やらに専念していたと思われる。今の彼女を知る者としては、都市伝説みたいな話だが、一応ちゃんとした企業から内定をもらっていたのはおそらく同級生の中でも新井さんだけであっただろう。
 それはともかく、かねてから河原氏の活動にいたく感心していた私は、「私もちょっとやっちゃいました」的なプロデュース公演をしようと考えた。その芝居では、ずっと気にはなっていたけれど、機会がなくて会わず終いになっていた新井さんにぜひ出演してもらいたいと思っていた。新井さんの演技は某劇団内でも一目置かれていたが、うまい、というのとは違っていた。今でこそ、魅力的なハスキーボイスを持ち、メリハリ効いた動作も自由自在の彼女だが、当時は、声もか細く、動きも軟体動物のようにグニャグニャしていた。しかし、その予想できない行動と集中力が客の目を引く、いわゆる「舞台あらし」的存在だったのだ。
 新井さんがメインキャストから外された理由は分かっていた。
 目立ちすぎるのだ。
 あと声が小さかった。
 私ならこういう役をお願いするのに…ということは常々考えていた。
 私は新井さんに、実に、1年半ぶりに電話をかけることにした。

 久しぶりに再会した新井さんは、リキッドタイプのアイラインを引くという、やや濃いめの化粧を施し、紫のスーツとパンプスでキメたゴージャスな女性に変身していた。

第四章 共生
  学生最後の思い出に、新井さんと他9名ほどの女子大生を集め芝居をすることにした。
 出演者は騒動舎の同期から芝居に出たこともない幼なじみまで誘った。
 音響は河原氏。衣装は今奈良タカちゃん(エッヘ)の当時の彼女。森本ノリオ(エッヘ)の当時の彼女も出演していたために、彼には舞台周りの諸事を押しつけた。
 女だけのユニットだと手伝う男手に困らない。もちろんその辺も計算づくだった。まるで置屋の業突張おかみだ。
 元HJの華、中坪ユキコには主役級の役をお願いした。だがユキコはその大役より、全身タイツの役や、電車オタクの役などのチョイ役が気に入ってしまい、より嬉々として演じていた。笑い乞食め、と思った。
 新井さんには粘着質でドケチな女を演じてもらった。彼女と再会した時、あまりにバリッとしていたため心配だったのだが、何の苦もなく、ネチョネチョした女になりきっていた。しかし、新井さんとの長い付き合いの中で、ビッとしていたのはあの一瞬だけだった。あの時以降は、大抵すっぴんみたいなツラで稽古に来る。最近では、あの長い髪の毛のせいか、垂らしている時など黒い毛玉が歩いているようだ。
 話を戻そう。
 その時の新井さんは素晴らしかった。酒の席でも大活躍だった。某劇団時代、ほとんど飲みに行ったことがなかったせいか、私は新井さんがこれほど酒豪でこれほど酔っぱらいだと知らなかった。新井さんの酔いどれ話は枚挙にいとまがない。今では仲間うちでは「妖怪・お酒ちゃん」と畏敬の念を込めて呼ばれている。普段の彼女は温和で丁寧だ。私は生まれも育ちもガサツな人間なので、元HJのメンバーなど、ほぼ全員を呼び捨てにしている。しかも時には、税金を払っていない下等な人間どもめ、的なニュアンスを含んで、名前を呼んだりする。
 だが、新井さんは違う。常に「さん」あるいは「ちゃん」づけである。人のテリトリーに土足で踏み込むようなことはしない、礼儀正しい希有な人なのだ。
 しかし、アルコールに浸された妖魔・新井は別だ。
「おめえは人間の器が小さいんだよ」と自分より数倍大きい男性を指さし罵ることもある。
「いいチチしてるじゃねえか」などと呟き、中坪さんのデカパイ(通称ナカパイ)を揉み倒し、ディープキスを決めるのだってお茶の子だ。白目を剥き、ツバを飛ばし、首をガクガク揺らして、腱鞘炎気味の指をブルブルさせながら熱弁を振るう勇姿は当時から現在まで衰えを知らない。多分、映画「エクソシスト」は新井さんみたいな人をヒントに作られたのだと強く思う。
 酒の席は兎に角、新井さんのことを気に入ったのは私だけではなかった。他ならぬ河原氏(長髪)であった。
 私としてはその公演後、新井さんと何かをしたいと再び思っていたけれど、就職の決まっていた彼女に期待することもできず、また、飲んだ勢いで「やる!」と言ってしまった「ハイレグジーザス」の旗揚げ公演準備にいっぱいいっぱいだった。その旗揚げ公演で、政岡タイシへ花を贈るマスコットガール役を「友香ちゃんにお願いしたいんだけど…」と河原氏が私に言ってきたのだ。
 今でこそ大人の魅力を持つ彼女だが、当時はホントに可憐で、マスコットガールにぴったりだった。この長髪、ずっと目をつけていたんだな。すけべめ。と思いつつ、新井さんにコンタクトを取った。
 その後、ほとんどの公演に新井さんは関わることとなる…なんてことは、当時の私たちに知る由もなかった。


第五章 激動
 マスコットとしてハイレグへ来た新井さんに男性陣は色めき立った。
 特に政岡タイシなどは、獲物を狙う猛獣のような、レイプ犯が道端で女のコを物色するような濃ゆい視線で新井さんを見ていた。森本や河原氏も例外ではなかった。
 ハイレグ旗揚げ公演は大層楽しかった。次の公演は法政大学の大ホールが決まっており、河原氏は「作・演やってみるか?」と言ってくれた。
 ならば、「ミュージカルを大がかりにやろう」と考え、ダンサーさんを大勢呼び、合唱隊も募集した。
 そして、再び新井さんを誘った。
 ハイレグ旗揚げ公演の後、新井さんは、決まっていた大手企業を蹴り、小さな広告代理店に勤めていた。どうも社員旅行で行ったマレーシアの旅に釣られたらしい。しかし、鼻毛を出しつつ「時代の流れに敏感であれ」という演説をする上司に嫌気がさし、って言うかお前の鼻毛にきちんと向き合ってくれ、と新井さんは思ったそうだ。新井さんの任された仕事はグラフ書き。しかも新井さんが3日間もかけて書いた(彼女いわく)芸術的なグラフを、ヘタクソだとけなされたらしい。もっとも3日間も費やしてグラフを書かせる会社も会社だし、グラフ書きに3日もかける新井さんも新井さんだ。
 そんな訳で、せっかく就職した会社をたった2週間で辞めたと噂で聞いていた。上司の鼻毛にもマレーシア旅行にも立派なグラフにも感謝した。
 新井さんは出演を快諾してくれ、我々の地獄の日々が始まった。
 この公演は過酷であったハイレグ史上でも一、二を争うキツイ公演だった。
 全員が貧乏のどん底を味わい、あのクソ真面目な中坪でさえ、500円ほどの小道具を買う金がなく、店頭から盗んで来ていた。どでかい舞台を作るため、役者たち自ら茨城まで行って大量の竹を取って来たり、廃材置き場から拾って来たレンガをバケツリレーの要領で運び、積んだりしていた。奴隷の作業だった。
 私の心の均整も崩れてきており、タチの悪い霊が憑依した感じに仕上がっていた。よく覚えていないが、シャブ切れ寸前のヤク中のようなハイテンションで毎日毎日怒鳴り続けた。ノリオなど交通事故にあい、全身打撲で動けなかったそうだが、私の怒りが怖くて言い出せず、普段通りに稽古をこなしたらしい。
 そんな中、新井さんは想像以上に良かった。
 彼女にはヒロインをお願いしたのだが、実に可憐で素晴らしかった。どう表現したものか分からないのだが、彼女が白く発光しているように見えた。天才だと思った。
 新井さんの才能を評価している人物がもう一人いた。オッホの演出、黒川マイちゃんだった。
 黒川さんと私は騒動舎で同期であり、ふたりでスペインに一ヶ月ほど滞在し、ビールを飲んだり、牛がひたすら尻尾でハエを追っ払っている映画を見たりした仲だ。
 黒川さんは新井さんをオッホの正式メンバーとして誘った。
 一方我らがハイレグジーザスは、そのミュージカルで作った肉体的・精神的・金銭的負の財産を抱えたまま、休む間もなく次の公演を打ってしまった。
 その公演では、本番当日に主役の綺麗ドコロは来ず、衣装は届かず、たった一つの大仕掛け、舞台上の大きな水槽からは、注入した水と同じ量の水が漏れ出した。新井さんは人魚姫の役だったのだが、尾ビレが間に合わなかったので、私が慌てて毛布で彼女の足をくるんで舞台に出した。心配になって覗いてみれば、ジャージを来て毛布を掛けた女が一匹、空の水槽の前に座っていただけで、意図も何もさっぱり分からなかった。ほか、「パンの歌」という童謡を新井さんが歌い、それに合わせて政岡がパンを食べるというネタもあった。
 余談だが、それだけのために政岡はノルマの13万円を払った。
 もちろん客は酷評し、ハイレグは公演3本で解散かと思われた。この状況下で新井さんがオッホに入ることを誰が止めることができたであろう? 私が新井さんでもオッホを選ぶ。
 しかし、新井さんはオッホに支障がない程度にハイレグに参加してくれると言ってくれた。
 新井さんの激動の時代が始まった。


第六章 狂乱
 オッホで繊細な芝居をし、ファンを着実に増やす傍らで、新井さんはハイレグに出続けてくれ、また異なるマニアを獲得していった。
 その頃のハイレグは、前回までの教訓を元に、小さなライブハウスで、身の丈に合った予算の公演っつーかネタを披露していた。新井さんは犬のメイクのまま大喜利をさせられ、エサの時間、と言われてドッグフードをガツガツ食べさせられたり、「鼻毛が伸びる、モジャモジャ伸びる、伸びて縮んでまた伸びる」という歌を歌いながら、踊らさせられたりしていた。
 今、文面にしてみると、あんまりな内容に改めて驚愕する。女優のやるべきことは一つもない。
それもお金を払ってそんなことをしていたのだ。何を信じていたのだろう、私たちは。カルト教団や自己開発セミナーだってもうちょっとマシなハズだ。
 しかし抜群に面白かった。
「友香の小部屋」という、ハイレグでは定番になったネタをするようになったのもこの頃だ。ちなみにこのネタは、新井さんが一人で舞台に立ち、延々ヨタ話をする代物だ。
 舞台に立った者ならば分かると思うが、一人で5分でも持たすのはキツイ。けれど、新井さんは10分でも20分でも観客を魅了することができた。彼女にかかるプレッシャーは相当なモノではなかったか、と今になって思う。
 とある一人ネタの最中、彼女は「コンボイッ!」とあまりに力んで叫んだことにより、その直後、身体中の穴という穴が弛緩し、オシッコをジョビッと漏らしながら声を失った。声帯をひどく痛めてしまったのだ。「コンボイ」のせいで。みんなの期待を背負って頑張った結果がこれだった。
 にも関わらず、新井さんはその後も、デーモン小暮の出で立ちでやはりヨタ話を話し続ける「友香デーモン」や、食べたイモ(固体)がなぜかオナラ(気体)に変わる不思議な手品を披露した「友香ピエロ」など傑作一人芝居を発表し続けた。
 もちろんその合間にもオッホは出演し続けた。「コンボイ」だけをやっていたのではない。黒川さんの機知に富んだセリフを新井さんならではのキャラで肉付けし、人気を博していた。
 舞台の新井さんは絶好調に見えた。
 しかし、そんな新井さんに、常人では滅多にお目にかかれない災難が降り懸かった。
 悪霊にとりつかれたのだ。冗談ではなく。
 新井さんは当時、富士急ハイランドのお化け屋敷で毎年、お化けになる短期バイトをしていた。
私も中坪ユキコも、新井さんからハイレグのマスコットを引き継いだ小林愛ちゃん(マイアミ)も同じくバイトさせてもらったことがあるのだが、真面目な話、そこに居たのだ。アレが。
 霊感などなく、ノンポリの私が見たのだから間違いない。
 もっともその時、お化け役に扮した私は、勢いあまって山梨のヤンキーカップルの足を力いっぱい踏んづけてしまい、「ぜってー探してやる。顔覚えているらー」と方言で怒る二人から身を隠すため、暗闇と恐怖の中、呼吸もままならない状態でしゃがんでいたので、皆に知らせることはできなかったが。
 とにかく、富士急にいた数多い悪霊のうち、約2名様が新井さんの両肩に乗って着いて行ってしまったらしい。
 その頃の新井さんの酔いどれぶりは確かに度を超していた。ある飲み会では、なぜか裸足で外に飛び出し、土手から落ち、散歩中の犬に吠えられても、ピクリとも動かず死体のように横たわっていたこともあったらしい。
 霊感ある友達の手によって除霊され、悪霊から解き放たれた新井さんは心機一転、新しいことに触手を伸ばした。
 それが処女作「ミンシン」であった。


第七章 奔走

 「宝船」本番まであとわずかだ。
 この芝居の本番に合わせて、「友香伝説」をアップしてきた。全く間にあってないが、そうしてきたつもりだ。なぜ、このような駄文をダラダラ書いているかと言えば、新井さんの魅力を知って欲しいからだ。
 なぜそこまでして新井さんのことや、そのついでに私の思った些末なことなどを公にしたいのか? ホントなら、隠しておきたい。ミステリアスな女の方が、口の重い女の方が、エロトークをしない女の方がモテるからだ。エロトークはここではやってないか。実際は毎日エロ話ばかりしてるけど。
 切実にモテたい。
 話を戻そう。あまりにミエミエで分かっていると思うが、その理由は新井さんの芝居に興味を持って頂きたいからである。 「こんなスゴイ新井さんが書く、そして演出する舞台を見たい!」と思って欲しいのよ。
 本当は最終章で言うつもりだったのだが、私がその前に自転車で事故死してしまう可能性だってあるので言っておく。
 相当面白い。見といた方がいい。
 手前ミソと笑うことなかれ。自画自賛ではない。私自身のことをサエているとは一言も言ってない。新井さんの脚本やら、他の出演者たちの芝居がサエているのだ。特にゆっくり見られる平日の回、おすすめです。
 さて、「ミンシン」である。
 かねてよりその文才を高く評価されていた新井さんが、事務所と河原氏の強い勧めにより芝居の台本を書くことになった。
 演出は河原氏。彼はハイレグ作品ほぼ全てを演出していたが、1本芝居の演出、ということは当時あまりやっておらず、河原氏的にも挑戦してみたかったのではないだろうか?
 新井さんは幼い頃大嫌いだった人魚姫をモチーフに、大層ロマンチックかつ斬新な恋愛ドラマを描いた。考えてみれば、新井さんは常に恋愛モノを描いている。ちなみに今回も恋愛モノだ。
 私が出会った頃は、「処女とは話できない」などと言われ、ホントにオクテだった新井さんだが、気づけば恋愛修行僧(荒行)みたいになっていた。恋愛について日々深く探究し、時には自ら滝に打たれるような、苦行としか思えぬイバラの道を歩んでいた。恋愛を語る新井さんはすごくカッコいい。シビれる。新井さんの台本の恋愛に関するセリフは、恋愛の恐怖の深淵を覗きこんだ人間、恋愛モンスターでなければ書けない含蓄に富むものばかり。
 浮き沈み激しい恋愛を繰り返した山田イクマなど、今回の稽古の度に「これ、どこかで見た」と脅え、ベトナム帰還兵が悪夢に悩まされるがごとく、フラッシュバックを起こす。どうでもいいが、彼はフラッシュバックとかトラウマとか死体遺棄とかが良く似合う。
 それはさておき、「ミンシン」は素晴らしい芝居だった。
 主演の千葉マサコ様も「天才っているんだなあ」と感動してしまう麗しさであった。私はまだ企画の段階から並々ならぬ興味を持ち、今まであったコネを全て使い、「ミンシン」に無理矢理参加させて頂いた。
 稽古場は毎日刺激的で、終演後もぜひ新井さんと千葉さんと再び何かをやりたい、とずっと考えていた。
 それが実現したのは次の年のことだ。



第八章 忙殺

 「宝船」の稽古の仕上がりは上々。こういった小劇場の世界では、遅筆の作家も多く、本番の前日に台本が上がる、なんてこともそこらに転がっている話なのだが、新井座長は稽古初日に台本すべてを用意しており、まさに大船に乗った気分。宝船だけに。初日も問題なく航海できそう。
 もっとも、運命に翻弄される女・新井友香の現場だし、一生涯丸ごとバッドラック山田もいるので何が起こるかまだまだ油断できないが。
 
 「ミンシン」後、私はちょいとした失恋をした。オリンピックの聖火のごとく、常に彼氏を絶やさないよう懸命に努力をしてきたはずだったが、アテが外れてしまい、ソニンのように突然ソロ活動を余儀なくされてしまった。
 こう書くと、あたかも恋多き女に思われるかもしれないが、なんてことはない、恋多くないからこそ、一つの恋をズルズルズルズル細々と続けられたというだけである。そのような訳で、男なんていらんぜよ、と、鼻息荒く極真カラテ道場に入門したり、ネットの映画サークルに参加し、誰一人として必要としてない映画の感想をチャットしたり…と、分かりやすくカラ回りしてた時期だった。そんなヒマがあったら、武蔵野市のゴミ収集所とか回って、カラス対策ネットをきちんと被せる作業でもすれば良かったのに。30歳目前でどうかしていたとしか思えない。
 その「20代最後の狂い咲き」の一環で、女性だけで公演をやる!という目論見を立てた。
 メンバーは決めていた。「ミンシン」ですっかり虜になってしまった千葉マサコさんと我が盟友・新井さんだった。二人とも優れた作家であり演出家なので、お互い作品を書き合い、演出し合えば面白いものができるハズ、と思った。ダメ元で交渉してみたところ、二人とも快諾してくれた。 思えば、出演交渉や企画などを新井さんに持ち込み、スケジュール的な理由以外で断られたことがない。いつも採算度外視でつきあってくれる。そして損ばかりで得をさせたことなど一度もない。 貧乏神さながらだ。
 その一方で、彼女は、実入りの良い現場でも、興味がなければ相当渋るらしい。姫川亜弓みたい。貴族とかの類なのだ、新井さんは。
 三人の公演は河原氏のアドバイスによって「薔薇の連帯」というタイトルに決めた。他にも「飛び立て、鳥よ」とか「マンハッタンの合間からセレナーデ」など、客足を確実に鈍らせるタイトルが次々と候補に挙がったが、今考えてみると、前者は今回の「嗚呼、お前もか…」になんとなく同じ匂いを感じる。多分、「飛び立て〜」も新井さんが考えたに違いない。
 「薔薇の連帯」は低予算で面白いものを、そんで利益上げて、少しでも千葉さんや新井さんに還元を…と思っていたが、てんで逆だった。二人とも根っこがお嬢さまなので、ステキな舞台や小道具や衣装を見ると、ケチることをあっという間に放棄した。「カネさえ出しゃ文句ないんだろ」と、万引きがバレた中高生のように、新井さんは度々すごんで見せた。
 「薔薇の連帯」は惚れ惚れするほど良い芝居だった。
 小津映画(見たことないけど)のような千葉さんの作品も、肛門と恋愛を同次元・同テンションで語る、純文学のような新井さんの作品もホントに秀逸だった。だが、ゲストとして呼んだ山田イクマが良くなかったのか、公演当日に台風が上陸し、思ったように動員人数は伸びず、おまけに予算を遙かにオーバーしていたため、二人に借金を負わせてしまった。私の狂い咲きウーマンリブのせいで。ってか、この芝居の1ヶ月後、なんでだか結婚してるし、私。なにが「男なんて〜」だよ。
 話が前後して恐縮だが、「薔薇の連帯」を決めてから上演するまでの1年間に、ハイレグは2本の本公演、1本の大阪公演、1本の大イベントへの参加、1本のオールナイトイベントをやるという正気の沙汰ではないスケジュールを強行しており、さらに新井さんはその中で1本の短編を書いていた。やはり恋愛モノだった。その作品の中で「本当に愛していれば鼻クソだって食べられるはず」ということを真剣に語っていた。食えねーよ。
 耽美な恋愛模様は短編とは思えぬ程濃厚で、新井さんはこの作品を描く時、あまりにも根を詰めて同じ姿勢でいたため、トイレの水を流す程度の日常的作業中、いきなり首をコッキリいわせてしまい、しばらく首コルセットをつけていた。
 毎日会っていると不思議なもので、当時は新井さんとそれほど親密に話し合うことはなかった。地方公演なども旅行気分で楽しいはずが、全員疲弊し切り楽しむ余裕など少しもなかった。宿泊場所として寺を提供して頂いたのだが、「こんな劣悪な環境では身体が持たない」と新井さんは出て行き、自腹でホテルに泊まっていた。真冬の最中、遠く離れた銭湯に通い、ストーブも効かないただっ広い仏間で、数少ない布団を奪い合うようにして全員が眠るというプチ被災地的な状況だったから、当然だろう。
 しかし、「新井さんはやっぱりお嬢、私は雑草。身体の鍛え方が違う」などと思い上がった私は、寺ではしゃぎ、飲みにも行って、宿泊二日目にしてすっかり衰弱し、ゲロが止まらないという非常事態に陥ってしまった。マチネとソワレの合間、ついに立てなくなってしまって、病院で点滴を受ける体たらくであった。
 私と新井さんの差は歴然としていた。普段は妖怪だったり、お酒ちゃんだったり、「死霊のはらわた」が特殊メイクなしでできたり、地図が読めない女であったり片付けられない女だったりする彼女だが、舞台における真摯な態度には頭が下がる。
 「薔薇の連帯」の後、疲れ切った新井さんは、ハイレグのクラブイベントに特別出演、というカタチでちょっぴり参加し、性病にかかったシャブ中工作員を熱演。その後、ナイロンの長田さんや峯村さん、種子さんらとともに、大人計画の宮藤さん脚本、河原くん演出による「チェリーボンバーズ」という破天荒に面白い芝居を実現する。私はその芝居を見た次の日、心起きなく日本を離れ、約1年間世界を放浪した。異国の地で、例えば岩のりを食べるイグアナを見たときなど、なぜか新井さんを思い出した。時折交換していたメールでは、河原氏作・演「五臓六腑にしみわたるのさ」などに出たことを知らせてくれていた。
 地球の裏側・南米で「私は呆けた挙げ句、排泄物を喉につまらせて死ぬ老婆の役だったから、正直、本番が終わってせいせいしている」的なメールを読んだ。バカでかい世界遺産の前で、日本の、東京の、下北沢の駅前で起こった出来事を想像して笑ったりして、どっちが偉大なんだか分からなくなる瞬間だった。
 みんなと無性に会いたくなった。
 「帰ろう」と思った。
 ハイレグの年末公演に合わせて帰国し、梅ヶ丘の美登利寿司折り詰めを持って稽古場に顔を出した。
 髪が尋常でない程伸びた他は、何も変わらぬ懐かしい新井さんがいた。



最終章 そして宝船へ

 いよいよ明日初日。
 そんな大事な時に、山田イクマと顔面衝突し、鼻を腫らして稽古を一時中断するハメに。山田の呪い、ここにきて炸裂か。アイツの先祖はどんだけ悪いことをしたんだ。大量虐殺や捕虜虐待などに関与していたに違いない。
 座長・新井は毎日、恐ろしく忙しいようだ。疲れ切っていて、稽古を見ている時、ごくまれにボンヤリしてしまうこともあるらしい。頑張れ、座長、稽古しっかり見てくれ。そして皆さん、ぜひ、会場に足を運んでください。
 1年ぶりに見たハイレグの稽古風景はびっくりするほど変わっていた。まず新人が入った。出会った頃は小娘みたいな新井さんも、その娘たちの隣では風格ある大女優のように見えた。ちなみに中坪はどこで会っても風格ある大女優のように見える。新人ちゃんたちとの公演は真剣に悩むこともなく、楽しいものだった。
 1年の放浪で貯金を使い果たした私は慌てて就職をした。一方新井さんは次々と芝居に出演していた。新井さんと私はほとんど会わなくなり、会うのは彼女の公演を私が見に行った時、という程度のつきあいになってしまった。薔薇の連帯だったのに。これでは新井さんの一ファンと変わらないではないか。
 自らを怠け者と称する新井さんだが、それは違う。新井さんは常に進化している。
 彼女は私が会社でぼんやりエロサイトなどを見ている間に、数々の芝居に出演し、アコーディオンをマスターし、着物の着こなしを身につけ、ジャグリングを覚え、スノボを練習している。そして今回は座長だ。
 この勢いで物事をやり続けたら、晩年やることがなくなるのでは、と心配さえする。ボトルシップとか作るようになるのかな。
 そんな時期に河原氏から呼び出しを受け、「今度は何をやらされるのか」と脅えて行ったところ、「ハイレグを解散する」と宣言される。
 河原氏と出会って13年、ハイレグを結成して10年。
 いつかこんな日が来るだろうと予期はしていたが、このタイミングとは思わなかった。新井さんは「それがいいかも」とすんなりと承諾した。
 私としてはこのメンバーでまだまだ面白いことができると思っていたので、反対したが、気づけば反対派は私と山田だけであった。またお前か。お前の業が悪いのか。
 私はあきらめた。
 そしてハイレグは永遠に昇天した。
 後から聞いたことだが、新井さんも「このメンバーでもっとやりたい」と思っていたそうだ。
 今回「宝船」を立ち上げた理由のひとつに、ハイレグのメンバーを呼んで芝居をやれるし、と考えたらしい。私なぞ、ハイレグがなくなって残念、しかしこれで心おきなく海外逃亡!的な浅知恵しかなく、新井さんとは次元が違うと言わざるを得ない。
 ハイレグが解散して、お互い努力しなければ会えない状態になった時、私と新井さんの間柄に変化が訪れた。ますます仲良くなったのである。
 冬になると、苗場にある新井さんの別荘にお邪魔し、ウインタースポーツを楽しんだり、海外旅行に一緒に行くようにもなった。今回映像をやってくれるムーチョこと村松君主催のイベントでは、新井さんは30分程度の下品なギャグ芝居を書き下ろし、私を主役で使ってくれた。誰にも言ったことはなかったが、この作品は今までの私の芝居人生の中で、最も悔いが残らない公演のひとつである。
 お互いの公演が重ならない時は、週に1回は飲んだりもしている。話してる内容は、7割恋バナ、2割悪口、1割夢の話だ。新井さんの公演はほとんど見ているし、時には稽古場まで遊びに行くこともある。
 宝船の話を頂いたのは1月の終わり。劇団旗揚げのいきさつはご存じの通り。本当は5月という話だったのだが、12月になった。この話の構想段階から相談を受け、仮チラシを作り、折り込みもやった。
 テレながら「これを仮チラシにしよう思って」と新井さんが出した、毛筆書きの原本を見た時の衝撃は忘れられない。
「新井、起きる!」とちょっとラクガキ風に書いてあった。コピーしたはいいが、余ってしまったらしく、裏面は今回の脚本に使用された。稽古中も「新井、起きる」を毎日眺め続けた。
 新井さんの伝説は終わらない。まだまだこれから。だって起きたばかりなんだから。ホントに目が離せない。
 私はこれからもずっと新井さんの伝説の証人になるつもりである。

 長々とした稚拙な文章を読んでいただきありがとうございました。
 劇場でお待ちしております。

〈了〉