宝船・公演の軌跡 001「嗚呼、お前もか…」 | ||||
第一章 出会い
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新井さんとは、今を遡ること15年前、女性メンバーだけで構成された某劇団で出会った。 女性だけの劇団、しかも、プロダクション系ということもあって、「アタシ売れてえ!」的な野心が渦巻き、嫉妬、見栄、競争、男の取り合い、上っ面だけの友情などが日夜繰り広げられ、その劇団で上演する芝居より断然そっちの方が面白い程であった。 劇団内において、勝ち組、負け組と次第に分けられて行く中で、親は医者、有名私大生かつスキー部所属、という毛並みの良い出目らしく、やや下ぶくれのお嬢様フェイスの新井さんは、私から見ても明らかにギラギラ感が欠けていた。 この劇団では「この役欲しい人〜!」などと言われた時は、いかに自分がこの役に向いているかを声を枯らして訴え、涙を流し、時にはトイレに籠城し、その役を掴むまで出てこない程度の自己アピールが必要だったのである。 しかも新井さんは要領も悪かった。 小さい頃から苦労をし「処女とは話が合わない」などとのたまう『ザ・女の人生ドラマ』みたいな女を怒らせ、真夜中にそいつの家から下着姿のままで外に蹴り出される、などという、不幸にも遭遇していた。 最初は「一緒に頑張ろうね!」などと言っていた同期生に「アンタの小道具の置き方が悪いわよ!」と言われるようになった頃、気が付けば、同じく負けチームっぽい雰囲気の新井さんが側にいた。 新井さんはもらった役を2度も降板されているにも関わらず、降板させられて号泣している女を慰め、逆に怒鳴られたりしていた。あまり年の変わらぬ生意気な女優気取りどもに、芝居の注意のみならず、人生のダメ出しまでされていた。 劇団内の半数は喫煙者だったのに、新井さんだけは試しに吸うだけで怒られていた。 あまり良く知らなかったけど、仲良くなりたいと思った。 |
第二章 別離
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15年前、我々が所属していた某劇団で大きな公演を打つことになった。 高名な脚本家による書き下ろしの台本であったにも関わらず、私には全く面白いとは思えぬ内容であった。しかし、劇団員にはとても好評で、とても文句など言える状態ではなかった。ただ一人を除いては。 そう、その人が新井さんであった。 新井さんと私はそれぞれ、メインキャストの元クラスメイトAとB、メインキャストの現・仕事仲間のAとB、小道具係をメインで任されていた。 稽古から帰る道すがら、私と新井さんは小道具の話し合いを兼ねて中華料理店に行った。ビールを何口か飲んだ新井さんは、他の劇団員たちに説教されている彼女とは何か違っていた。新井さんは、目の回りをヌラヌラと赤く染めながら、「この台本はクソだ」的なことを言った。 全く同感だった。 小動物のようなルックスの新井さんが、研ぎ澄まされた牙と毒を秘かに持っていることを知ったのだった。 この日から、私は新井さんのことを「友香ちゃん」と呼ぶようになった。 しばらくして、私は『ザ・女の人生ドラマ』の自宅へ呼び出しを受けた。酒が入っていた彼女は、私に「これ今度やりたいんだよ」と自作の脚本を読ませてくれた。 正直、あまり好きな作風ではなかった。しかし彼女は、度重なる修羅場で作ってきたという傷と、浪速のボクシングジムで鍛えたフットワークを披露しつつ、「このホンを読んで泣いてくれたら、仲間だって思えるんだよ」とつぶやいた。 彼女は用意していたラジカセで浜田省吾、通称ハマショーの曲をかけ、「ラストシーンにはこれがかかるんだ」と演出プランまで教えてくれた。周りを見てみると、そこにいた劇団員全員が涙を流しながら私を見ていた。 魔女狩りだ! そう気が付いた時には遅かった。私は新井さんのような勇者ではなかった。泣いた。もう限界だと思った。 私はその劇団を誰にも相談せずに抜けた。偶然にも新井さんが同じ時期に辞めた、と風の噂で聞いた。 ふたたび新井さんと再会するのは、それから1年程経った後であった。 |
第三章 再会
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劇団を辞めてから、私は騒動舎というインカレサークルの1部員として、合宿に行ったり失恋したり、たまに公演に出たりしていた。
同級生だった河原氏と時折飲むようになったのもこの頃だ。河原氏は話術巧みで、ちょっとした話でも尾ヒレをつけたり、倒置法を用いるなどして、100倍面白く話すことができる男だった。クラスメイトが就職活動を始めた頃、もちろんそのようなことは気にも止めない彼は、明大校舎を舞台にした大がかりな芝居を手掛けており、飲み友達だった私も参加することになった。蛇足だがその現場において、絶対あり得ないタイミングで、そんな必要もない大ケガをし、病院に運ばれたのが、山田イクマだった。 この頃は新井さんとほとんど連絡を取っておらず、振り返って考えてみると、就活やらに専念していたと思われる。今の彼女を知る者としては、都市伝説みたいな話だが、一応ちゃんとした企業から内定をもらっていたのはおそらく同級生の中でも新井さんだけであっただろう。 それはともかく、かねてから河原氏の活動にいたく感心していた私は、「私もちょっとやっちゃいました」的なプロデュース公演をしようと考えた。その芝居では、ずっと気にはなっていたけれど、機会がなくて会わず終いになっていた新井さんにぜひ出演してもらいたいと思っていた。新井さんの演技は某劇団内でも一目置かれていたが、うまい、というのとは違っていた。今でこそ、魅力的なハスキーボイスを持ち、メリハリ効いた動作も自由自在の彼女だが、当時は、声もか細く、動きも軟体動物のようにグニャグニャしていた。しかし、その予想できない行動と集中力が客の目を引く、いわゆる「舞台あらし」的存在だったのだ。 新井さんがメインキャストから外された理由は分かっていた。 目立ちすぎるのだ。 あと声が小さかった。 私ならこういう役をお願いするのに…ということは常々考えていた。 私は新井さんに、実に、1年半ぶりに電話をかけることにした。 久しぶりに再会した新井さんは、リキッドタイプのアイラインを引くという、やや濃いめの化粧を施し、紫のスーツとパンプスでキメたゴージャスな女性に変身していた。 |
第四章 共生
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学生最後の思い出に、新井さんと他9名ほどの女子大生を集め芝居をすることにした。 出演者は騒動舎の同期から芝居に出たこともない幼なじみまで誘った。 音響は河原氏。衣装は今奈良タカちゃん(エッヘ)の当時の彼女。森本ノリオ(エッヘ)の当時の彼女も出演していたために、彼には舞台周りの諸事を押しつけた。 女だけのユニットだと手伝う男手に困らない。もちろんその辺も計算づくだった。まるで置屋の業突張おかみだ。 元HJの華、中坪ユキコには主役級の役をお願いした。だがユキコはその大役より、全身タイツの役や、電車オタクの役などのチョイ役が気に入ってしまい、より嬉々として演じていた。笑い乞食め、と思った。 新井さんには粘着質でドケチな女を演じてもらった。彼女と再会した時、あまりにバリッとしていたため心配だったのだが、何の苦もなく、ネチョネチョした女になりきっていた。しかし、新井さんとの長い付き合いの中で、ビッとしていたのはあの一瞬だけだった。あの時以降は、大抵すっぴんみたいなツラで稽古に来る。最近では、あの長い髪の毛のせいか、垂らしている時など黒い毛玉が歩いているようだ。 話を戻そう。 その時の新井さんは素晴らしかった。酒の席でも大活躍だった。某劇団時代、ほとんど飲みに行ったことがなかったせいか、私は新井さんがこれほど酒豪でこれほど酔っぱらいだと知らなかった。新井さんの酔いどれ話は枚挙にいとまがない。今では仲間うちでは「妖怪・お酒ちゃん」と畏敬の念を込めて呼ばれている。普段の彼女は温和で丁寧だ。私は生まれも育ちもガサツな人間なので、元HJのメンバーなど、ほぼ全員を呼び捨てにしている。しかも時には、税金を払っていない下等な人間どもめ、的なニュアンスを含んで、名前を呼んだりする。 だが、新井さんは違う。常に「さん」あるいは「ちゃん」づけである。人のテリトリーに土足で踏み込むようなことはしない、礼儀正しい希有な人なのだ。 しかし、アルコールに浸された妖魔・新井は別だ。 「おめえは人間の器が小さいんだよ」と自分より数倍大きい男性を指さし罵ることもある。 「いいチチしてるじゃねえか」などと呟き、中坪さんのデカパイ(通称ナカパイ)を揉み倒し、ディープキスを決めるのだってお茶の子だ。白目を剥き、ツバを飛ばし、首をガクガク揺らして、腱鞘炎気味の指をブルブルさせながら熱弁を振るう勇姿は当時から現在まで衰えを知らない。多分、映画「エクソシスト」は新井さんみたいな人をヒントに作られたのだと強く思う。 酒の席は兎に角、新井さんのことを気に入ったのは私だけではなかった。他ならぬ河原氏(長髪)であった。 私としてはその公演後、新井さんと何かをしたいと再び思っていたけれど、就職の決まっていた彼女に期待することもできず、また、飲んだ勢いで「やる!」と言ってしまった「ハイレグジーザス」の旗揚げ公演準備にいっぱいいっぱいだった。その旗揚げ公演で、政岡タイシへ花を贈るマスコットガール役を「友香ちゃんにお願いしたいんだけど…」と河原氏が私に言ってきたのだ。 今でこそ大人の魅力を持つ彼女だが、当時はホントに可憐で、マスコットガールにぴったりだった。この長髪、ずっと目をつけていたんだな。すけべめ。と思いつつ、新井さんにコンタクトを取った。 その後、ほとんどの公演に新井さんは関わることとなる…なんてことは、当時の私たちに知る由もなかった。 |
第五章 激動
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マスコットとしてハイレグへ来た新井さんに男性陣は色めき立った。 特に政岡タイシなどは、獲物を狙う猛獣のような、レイプ犯が道端で女のコを物色するような濃ゆい視線で新井さんを見ていた。森本や河原氏も例外ではなかった。 ハイレグ旗揚げ公演は大層楽しかった。次の公演は法政大学の大ホールが決まっており、河原氏は「作・演やってみるか?」と言ってくれた。 ならば、「ミュージカルを大がかりにやろう」と考え、ダンサーさんを大勢呼び、合唱隊も募集した。 そして、再び新井さんを誘った。 ハイレグ旗揚げ公演の後、新井さんは、決まっていた大手企業を蹴り、小さな広告代理店に勤めていた。どうも社員旅行で行ったマレーシアの旅に釣られたらしい。しかし、鼻毛を出しつつ「時代の流れに敏感であれ」という演説をする上司に嫌気がさし、って言うかお前の鼻毛にきちんと向き合ってくれ、と新井さんは思ったそうだ。新井さんの任された仕事はグラフ書き。しかも新井さんが3日間もかけて書いた(彼女いわく)芸術的なグラフを、ヘタクソだとけなされたらしい。もっとも3日間も費やしてグラフを書かせる会社も会社だし、グラフ書きに3日もかける新井さんも新井さんだ。 そんな訳で、せっかく就職した会社をたった2週間で辞めたと噂で聞いていた。上司の鼻毛にもマレーシア旅行にも立派なグラフにも感謝した。 新井さんは出演を快諾してくれ、我々の地獄の日々が始まった。 この公演は過酷であったハイレグ史上でも一、二を争うキツイ公演だった。 全員が貧乏のどん底を味わい、あのクソ真面目な中坪でさえ、500円ほどの小道具を買う金がなく、店頭から盗んで来ていた。どでかい舞台を作るため、役者たち自ら茨城まで行って大量の竹を取って来たり、廃材置き場から拾って来たレンガをバケツリレーの要領で運び、積んだりしていた。奴隷の作業だった。 私の心の均整も崩れてきており、タチの悪い霊が憑依した感じに仕上がっていた。よく覚えていないが、シャブ切れ寸前のヤク中のようなハイテンションで毎日毎日怒鳴り続けた。ノリオなど交通事故にあい、全身打撲で動けなかったそうだが、私の怒りが怖くて言い出せず、普段通りに稽古をこなしたらしい。 そんな中、新井さんは想像以上に良かった。 彼女にはヒロインをお願いしたのだが、実に可憐で素晴らしかった。どう表現したものか分からないのだが、彼女が白く発光しているように見えた。天才だと思った。 新井さんの才能を評価している人物がもう一人いた。オッホの演出、黒川マイちゃんだった。 黒川さんと私は騒動舎で同期であり、ふたりでスペインに一ヶ月ほど滞在し、ビールを飲んだり、牛がひたすら尻尾でハエを追っ払っている映画を見たりした仲だ。 黒川さんは新井さんをオッホの正式メンバーとして誘った。 一方我らがハイレグジーザスは、そのミュージカルで作った肉体的・精神的・金銭的負の財産を抱えたまま、休む間もなく次の公演を打ってしまった。 その公演では、本番当日に主役の綺麗ドコロは来ず、衣装は届かず、たった一つの大仕掛け、舞台上の大きな水槽からは、注入した水と同じ量の水が漏れ出した。新井さんは人魚姫の役だったのだが、尾ビレが間に合わなかったので、私が慌てて毛布で彼女の足をくるんで舞台に出した。心配になって覗いてみれば、ジャージを来て毛布を掛けた女が一匹、空の水槽の前に座っていただけで、意図も何もさっぱり分からなかった。ほか、「パンの歌」という童謡を新井さんが歌い、それに合わせて政岡がパンを食べるというネタもあった。 余談だが、それだけのために政岡はノルマの13万円を払った。 もちろん客は酷評し、ハイレグは公演3本で解散かと思われた。この状況下で新井さんがオッホに入ることを誰が止めることができたであろう? 私が新井さんでもオッホを選ぶ。 しかし、新井さんはオッホに支障がない程度にハイレグに参加してくれると言ってくれた。 新井さんの激動の時代が始まった。 |
第六章 狂乱
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オッホで繊細な芝居をし、ファンを着実に増やす傍らで、新井さんはハイレグに出続けてくれ、また異なるマニアを獲得していった。 その頃のハイレグは、前回までの教訓を元に、小さなライブハウスで、身の丈に合った予算の公演っつーかネタを披露していた。新井さんは犬のメイクのまま大喜利をさせられ、エサの時間、と言われてドッグフードをガツガツ食べさせられたり、「鼻毛が伸びる、モジャモジャ伸びる、伸びて縮んでまた伸びる」という歌を歌いながら、踊らさせられたりしていた。 今、文面にしてみると、あんまりな内容に改めて驚愕する。女優のやるべきことは一つもない。 それもお金を払ってそんなことをしていたのだ。何を信じていたのだろう、私たちは。カルト教団や自己開発セミナーだってもうちょっとマシなハズだ。 しかし抜群に面白かった。 「友香の小部屋」という、ハイレグでは定番になったネタをするようになったのもこの頃だ。ちなみにこのネタは、新井さんが一人で舞台に立ち、延々ヨタ話をする代物だ。 舞台に立った者ならば分かると思うが、一人で5分でも持たすのはキツイ。けれど、新井さんは10分でも20分でも観客を魅了することができた。彼女にかかるプレッシャーは相当なモノではなかったか、と今になって思う。 とある一人ネタの最中、彼女は「コンボイッ!」とあまりに力んで叫んだことにより、その直後、身体中の穴という穴が弛緩し、オシッコをジョビッと漏らしながら声を失った。声帯をひどく痛めてしまったのだ。「コンボイ」のせいで。みんなの期待を背負って頑張った結果がこれだった。 にも関わらず、新井さんはその後も、デーモン小暮の出で立ちでやはりヨタ話を話し続ける「友香デーモン」や、食べたイモ(固体)がなぜかオナラ(気体)に変わる不思議な手品を披露した「友香ピエロ」など傑作一人芝居を発表し続けた。 もちろんその合間にもオッホは出演し続けた。「コンボイ」だけをやっていたのではない。黒川さんの機知に富んだセリフを新井さんならではのキャラで肉付けし、人気を博していた。 舞台の新井さんは絶好調に見えた。 しかし、そんな新井さんに、常人では滅多にお目にかかれない災難が降り懸かった。 悪霊にとりつかれたのだ。冗談ではなく。 新井さんは当時、富士急ハイランドのお化け屋敷で毎年、お化けになる短期バイトをしていた。 私も中坪ユキコも、新井さんからハイレグのマスコットを引き継いだ小林愛ちゃん(マイアミ)も同じくバイトさせてもらったことがあるのだが、真面目な話、そこに居たのだ。アレが。 霊感などなく、ノンポリの私が見たのだから間違いない。 もっともその時、お化け役に扮した私は、勢いあまって山梨のヤンキーカップルの足を力いっぱい踏んづけてしまい、「ぜってー探してやる。顔覚えているらー」と方言で怒る二人から身を隠すため、暗闇と恐怖の中、呼吸もままならない状態でしゃがんでいたので、皆に知らせることはできなかったが。 とにかく、富士急にいた数多い悪霊のうち、約2名様が新井さんの両肩に乗って着いて行ってしまったらしい。 その頃の新井さんの酔いどれぶりは確かに度を超していた。ある飲み会では、なぜか裸足で外に飛び出し、土手から落ち、散歩中の犬に吠えられても、ピクリとも動かず死体のように横たわっていたこともあったらしい。 霊感ある友達の手によって除霊され、悪霊から解き放たれた新井さんは心機一転、新しいことに触手を伸ばした。 それが処女作「ミンシン」であった。 |
第七章 奔走
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「宝船」本番まであとわずかだ。 |
第八章 忙殺
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「宝船」の稽古の仕上がりは上々。こういった小劇場の世界では、遅筆の作家も多く、本番の前日に台本が上がる、なんてこともそこらに転がっている話なのだが、新井座長は稽古初日に台本すべてを用意しており、まさに大船に乗った気分。宝船だけに。初日も問題なく航海できそう。 |
最終章 そして宝船へ
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いよいよ明日初日。 |